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髙井良純 Yoshizumi Takai = プロフィール

本名: 髙井良純 たかいよしずみ
(筆名 加藤純一)

出身地: 和歌山県 12月23日生れ
ミュージカル作 ・ 作曲 ・ 演出家
日本ミュージカル研究会・劇団JMA 主宰
但馬ミュージカル研究会 芸術監督
市民ミュージカル劇団『希望』 代表・芸術監督
宝塚歌劇団 作曲家 (1955~1992)
日本音楽著作権協会(JASRAC) 会員
日本演出者協会 会員


<略 歴>
1955年  2月 創作オペラ「竹取物語」の作曲発表 大阪音楽大学オペラ研究会によって上演。
1955年  5月 宝塚歌劇団に作曲家として入団、1992年12月在職37年退団。
1966年 10月 帝国劇場オープン記念、音楽担当。
1969年  7月 日本ミュージカル研究会・劇団JMA創立、主宰として現在に至。
1970年  5月 ミュージカル「東は東」で旗揚げ公演を行う。以後、国民ミュージカルを提唱、各地で活動。
1995年  1月 但馬ミュージカル研究会創立、芸術監督。
2011年 10月 市民ミュージカル劇団『希望』設立。 代表・芸術監督。


<受 賞 暦>
1961年 10月 [芸術祭賞受賞] 宝塚歌劇団華麗なる千拍子のスタッフに対し。
1969年 10月 [大阪文化祭賞受賞] のびる会の民話の企画に対し。
1978年   月 [井植文化賞受賞] ミュージカル「杉木の賛」のスタッフに対し。
1992年 12月 [現代芸術賞受賞] 兵庫県半ドンの会より。
1995年 12月 [大阪府民劇場作品賞受賞] 古代ミュージカル・ロマン「邪馬台国物語」に対し。
2001年  5月 [大阪新劇フェス作品奨励賞受賞] 同上作品に対し。
2014年  5月 [大阪府文化功労知事表彰受賞]
2001年     [兵庫県地域文化功労「ともしびの賞」受賞]
2001年     [西宮市まつづくり賞受賞]古代ミュージカルファンタジー「有間皇子物語」に対し


高井良純

・オペラ「竹取物語」作曲
高井良純が初めてオペラ「竹取物語」を作曲したのは1953年(昭和28年)である。その頃日本のオペラ界はまだまだ揺監期にあった。東京には藤原、長門両歌劇団、大阪には関西歌劇団等がようやくヴェルディ―やプッチーニ、ビゼー等の作品を模索しながら上演し始めた頃である。創作オペラに至っては山田耕作の「黒船」、 団伊久磨の「夕鶴」、清水修の「修繕寺物語」等数曲しかなかった。そんな時弱冠19歳で日本民話「竹取物語」をオペラ化し、その第一幕を上演したのである。翌々年の1955年1月、代三幕八場2時間半に及ぶオペラを完成。大阪音大生によって上演され楽界にセンセーショナルな話題を提供した。当時の新聞に、関西交響楽団(現・大フィル)の指揮者朝比奈隆氏が「日本の作曲家の歴史はもう40年になるが、オペラの作曲をした人はまだ四・五人位だ。我々としても大いに反省しなければ。」と述べている。

・故 白井鐵造氏との出合い
以来、高井は舞台芸術に全てをかけるため、宝塚歌劇団に入団し、そのかたわら俳優の故内田朝雄氏の前衛劇(円形劇場)や新劇等の音楽を手がけた。中でも宝塚で、故白井鐵造氏の音楽を担当しつつオペレッタの演出を学んだことが、後のミュージカルの世界に魅せられるきっかけとなった。

・日本ミュージカル研究会生れる
1969年、日本人の為の日本のミュージカルを創ろうと、日本ミュージカル研究会を創立し、岩田豊雄原作の「東は東」をミュージカル化し上演した。白井氏はこの作品を観て絶賛している。初演に出演した大阪音楽大学教授の栢本儀臣氏も「何もかも新鮮で楽しかった。菅沼潤氏(宝塚歌劇やオペラの演出家)も感心されていました。」と語っている。その後高井の創作エネルギーは留まるところを知らず、年平均2本の作品を制作・上演、その数は75余に達している。これはおそらく、我国のミュージカル史上最多の記録ではなかろうか。しかもその殆どが一人で作または脚色・作曲・演出というのは驚異的である。内容も省略法・間接話法・飛躍といった方法論を展開。ミュージカルは歌・芝居・ダンスの単純な合体だけではなく、それらが止揚した第四番目の芸術として位置付け、劇団員に対してもミュージカル的感性を養うよう支持しているのが注目される。

元宝塚歌劇団トップスター、榛名 由梨さんとの対談

高井良純